はじめての東北 その1
2022/06/28
11月2日から4日の3連休に、東北へ行ってきました。
なにわあきんど塾同友会の渉外活動委員会のメンバーを中心に総勢17名。
同友会で支援している事業者さん達に会ったり、被災地を視察したりするのが目的です。
もちろん、美味しいものを食べて飲んで、たくさん東北産のものを買ってという
私の得意な復興支援も含まれています
早朝の飛行機で大阪を出発。
仙台から貸し切りバスで石巻に向かいました。
石巻の事業者さんに案内してもらい向かったのは海沿いのだだっぴろい野原にあるモニュメント。
何にもないこの野原は津波で家屋が流されて、瓦礫を撤去した場所でした。
モニュメントはここでコンビニを経営していた人が自費で作ったもの。
そこに飾られていた震災前の写真を見なければ、ここが町だったとは思えません。
犠牲になった幼稚園や小学校の子供達の話をここで聞くと、テレビでは聞いていた話も
現実のものとして心に刺さりました。
ちなみに
写真の後ろに見えているのは日本製紙の大きな工場です。
日本一になった楽天イーグルスの本拠地は、日本製紙クリネックススタジアム宮城(Kスタ)
この命名権は今年限りで日本製紙は継続しないそうです。
次はどこが命名権を買うのかな?2億5千万円、、、うちは無理!
その後、女川へと移動し、避難所となった高台から港町だったところを見ました。
こちらもだいぶ瓦礫は撤去されてましたが、ここに家が建ってたんだというのは判ります。
まだまだ復興の第一歩も見えないような気がしますが、
どこまで家を建てていいのか決まっていないし、問題はたくさんあるそうです。
この夜、仙台で石巻や閖上の皆さんと懇親会をしてお話をした時に一番おっしゃっていたのは
「忘れないでほしい」
ということ。
原発問題がクローズアップされがちで、関西にいると東北の被災した皆さんのことを
見聞きすることが減っているのですが、支援の繋がりを続けていきたいなと思いました。
仙台では大いに食べて飲んで騒いだのですが、その話は省略
翌日は、岩手県の陸前高田へ。
その光景に絶句
ここは駅前のロータリーだったところ
もちろん、大通りの左右には商店街があったのですが、
語り部さんに写真を見せてもらいながら説明してもらわないと、町だったとは思えません。
町が丸ごと無くなるって、こういうことなんだって体で感じました。
看板の右下が壊れていますが、ここまで津波は来たんですね。
想像するだけで怖い。
陸前高田は奇跡の一本松のニュースなどで知っていましたが、
やっぱり現地を見ないとその被害の大きさは解らないですね。
そして被災した人の言葉を聞かないと。
語り部さんは観光局の人ですが、バスの車窓から「ここは私の実家があったところです」
と淡々と話をされていて、それがかえって辛かったです。
この後、仮設住宅に子供達へのクリスマスプレゼントを届けた後、
私も一口オーナーになっている牡蠣の養殖業者さんを訪ね、
アドボートで漁業の復興支援をしている事業者さんと漁師さん達と
小石浜港でバーベキューをして、盛岡へ。
超ハードなスケジュールの2泊3日。
後半部分はまた後日アップします。